鉄壁の就業規則> 勤務時間と休日 今の“相場”はどうなっているの?> 時短の政策は“古き良き時代の遺物”だ

【就業規則の重要箇所】
勤務時間と休日 今の“相場”はどうなっているの?<7>

"鉄壁の就業規則"で、がサービス残業だったと訴えてくる前に見直す

時短の政策は“古き良き時代の遺物”だ

総務部長 そもそも時短という政策はいつからあったのでしょうか?
北見 日本における時短政策を調べてみました。

1980年代(昭和55年からの10年間)、日本が対外貿易黒字を大きくするにつれ貿易摩擦が発生し、欧米諸国からの批判が相次いだが、その中のひとつに「日本人の働きすぎ」が挙げられました。
政府は昭和63年(1988年)、経済計画(「世界とともに生きる日本-経済運営五ヶ年計画」)の中で一人当たりの年間労働時間を1800時間程度とする目標を定めました。
政府はその後、年間労働時間を一律1800時間とする目標を廃止し、職場ごとに労働時間の設定を各自行なうとする方針を決定しました。

総務部長 昭和50年代ですか、懐かしいですね。
北見 確かに懐かしいですね。「昭和54年」には、「ジャパンアズナンバーワン―アメリカへの教訓」 (1979年) という本がベストセラーになりました。この本は日本人のプライドをくすぐってくれましたね。
総務部長 昭和60年代というのは、今から思えば明るい時代でしたね。
北見 戦後の日本のピークだったかもしれませんね。 労基法は昭和22年に制定されたものですが、昭和63年の改正で、週40時間労働制、変形労働時間制、裁量労働制、フレックスタイム制などが導入されました。
総務部長 そして、バブルに入り、バブル崩壊に陥りましたね。
北見 一番の失政は、既に世の中が変わり、日本の国力が低下し始めていたにもかかわらず、相変わらず時短の政策を採り続けたことだと思います。平成9年に中小企業でも、週40時間制が完全実施されました。その年は、橋本龍太郎氏が首相で、消費税を3%から5%に引き上げた年でもありました。山一証券とか北海道拓殖銀行も破綻しました。
総務部長 山一証券の、あの社長の泣き顔は今でも忘れられませんね。
北見 本当にそうですね。あの人は懐かしい。
総務部長 日本人の所得も最近減っていますね。失われた10年とか、20年の始まりだったのでしょうね?
北見 日本人の平均所得は、この平成9年をピークに下がり続けていきましたが、これは時短の政策と無縁ではないと思います。拙書『消えた年収』(文藝春秋)の中で載せたグラフをここに紹介させて頂きます。国税庁の民間給与実態調査結果のデータです。これをみれば、平成9年から毎年下がっています。

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